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それは“主語の大きい話をしたくない”という誠意だよ

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ブログエントリで、結局最後自分語りの話になってしまうのは、“主語の大きい話をしたくない”という誠意だよ


前回の



サイバーメガネ斎藤さん(id:miraihack)さんがこの先生きていくためにはどうしたらいいのか。 - マイルドヤンキーにさよならを


の記事のブクマで




サイバーメガネ斎藤さん(id:miraihack)さんがこの先生きていくためにはどうしたらいいのか。 - マイルドヤンキーにさよならを

さいとーさんもそうだけど なんでこの手の人は最後のとこで自分語りにしちゃうんかね

2014/12/21 07:55



というはてなブックマークのコメントをいただいたんですが。



確かに、最後に自分の話にしてしまうっていう傾向ははてなユーザーに高いと思う。
でも、そういうのって“主語のでかい話をしない”というはてな意識の高さゆえに出てくるエチケットだと思うんだよね。
主語の大きい話を、強い言葉で語れば、多くの人がその影響を受けるし、ブックマークもアクセスも伸びる。炎上もするので、もっとブックマークも伸びる。でも実際、主語の大きい話というのは全然役に立たない。汎用性がない。実際安い。
この世界にあふれるライフハック、そのライフハックが殆ど役に立たないクズなのはどうしてかって言うと、人のライフスタイルも、世界観や価値観も、その人それぞれがまったく違っていて、そしてそれに合わせるライフハックの方法も千差万別なのに、ざっくりと主語の大きい状況でくくって、“この4つの方法で全部OK”みたいな書き方をしても、それは耳目も引くし、そしておそらくその記事を書いた人はうまくいったんだろうけど(そしてその人の成功体験談でとてもうまくいったからそういう記事をかいているんだろうけれども)実際、他の人も、状況として同じような状態になっていても、それまでにそうな経緯や、周りの置かれている環境や人間関係も全く異なり、役に立たないことが多い。そして、役に立たないね、で終わればいいんだけれども、そんなふうに

“これさえすれば”

“だれでもできる”

と強い言葉で書かれている記事というのは、それが出来ない人間を責めさいなむ。本人にそのつもりが無くても読んだ側はそれをそう感じる。
そういうのを無視して、自分の世界の主観をまわりに押し付けてもいいのだろうけれども(そしてそれをしている人間はそういう自覚は無く“自分は普通”だと思っている)はてなで昔から書いてる人間というのは、そこらへんが優しいので、だから、

“これは個人的な感想と自分の体験によるもので一般論ではない”

“俺には出来たがお前に出来たか分からん。だが俺には出来た。俺はこういうスペックだ”

ということを、暗に示したり、明示して書いたりする。自分もそうしたい。
こういう書き方をすると、それを見た人は、その書かれた文章を自分なりに消化して、事例のひとつとして学ぶことが出来るし参考にする部分しない部分を取捨選択できると思う。
アクセスは稼げないし、ライフハック記事としてはたぶん外道なんだろうけれども、でも、自分ははてなユーザーのそういう奥ゆかしいところが、気に入っている。


以上、主語の大きい話をした(id:nectaris)でした。

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