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悠仁さまの事故被害者。追突にあったのに、なんて運がいい…!と思ってしまい、自分の中にも現人神信仰があると気づきショックを受けた話

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紀子さま悠仁さまをお乗せの車が追突 けがなし 相模原の中央道

紀子さま悠仁さまをお乗せの車が追突 けがなし 相模原の中央道
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2016.11.20 12:55

 20日午前7時35分ごろ、相模原市緑区与瀬の中央道下り車線で、秋篠宮紀子さまと長男の悠仁さまが乗られたワゴン車が、渋滞の最後尾に並んでいた乗用車に追突した。宮内庁によると、紀子さま悠仁さまはけがをされていない。

 警視庁高速隊の調べでは、ワゴン車は30代の宮内庁職員が運転し、計6人が乗車していた。ワゴン車には前部バンパーに亀裂と擦った痕があり、追突された車はバンパーがへこんでいたという。

http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/161120/lif16112012550005-n1.html


というニュースを聞いた時、追突された人にたいして、「なんて運のいい…」と思ってしまった。普段絶対に遭遇することのない、ものすごい確率の事故にあったのだから、(そして別にけがもない様子)。で、事故は事故に変わりがないのに自分がそう思ってしまうのは自分の中に、そういう、皇族であるとか、人間の価値の高い人に属する、穢れの逆(なんていうのか名前はわからん)を持つ感情があるということに気付いてしまった。人間に位をつけてその人に接触することによって、その“素晴らしいもの”が自分に感染するのではないか、という感覚。



その逆の、穢れについての感覚を持つということを、自分に対してタブーにしてきていたので(筋金入りのリベラル)その逆の感覚がまだ自分の中に残っていたことに驚いたし、残っていたということは反対側の感覚も禁じてはいるけれども、どっかに残っているのだろう。まあ、それは消せないものなのだろう、人間だもの。



人間が人間である限り、社会的地位が高かったり美しかったり、価値の高い人間に対して評価がさらに甘くなったり、その人の考えていることを肯定してしまったり、そういう認知的不協和が起こってしまう。逆に、社会的地位が低かったり、貧乏だったり、頭が悪かったり、顔が不細工だったりする人間の言葉を軽んじてしまうということも、起こる。そういうことは、人間が人間である限り避けようがないし、そして、自分がそのような思考をしているということに通常では絶対に気付けない。そのような認知的不協和は人間の表面的な意識の下、ほぼ本能に近いところで発生しているからだ。



そういうのを防ぐためには、常に、自分はそういう判断をする人間だということを念頭に置いて、逆張りをしていくしかない。そういう風に心がけている。


けれども、今回のコレでちょっとだけ、そういうのを思ってしまったっていう話。








あと、追突された車、オークションにかけたら、皇族好きの人に1000万くらいで売れそうなので、やっぱり運がよかったのではないかな……?

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