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マイルドヤンキーにさよならを

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世の中に、暴力をふるうつもりで暴力をふるう人間はいない

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生きてる上で、暴力にさらされることってよくある。
会社からだったり、社会からだったり、上司からだったり、配偶者からだったり、親からだったり、先生からだったり。
あ、この場合の暴力というのは、力づくの暴力ではなく、他人の存在を否定したり、生き方のルールを勝手に敷いたり、人の人生のほかの選択肢を力づくで踏みつぶしたり、その自分の人生を人質にして相手に言うことをきかせたり、そういうことです。



で、そういうことってよくあるんですけれども、そういう暴力を振りかざして、他人をつぶす人間って悪意でやっているのではない。むしろ善意で、正しいことをしていると思ってやっている。



タイガーマスクが孤児院にランドセルを贈るという事件がある。
これに対して、ほとんどの人は、“良いことだ”“心の温まる出来事だ”と思うだろうけれども、実際のところ、このランドセルを贈るということは、ジャマ、ゴミ、他人の迷惑になる行為でしかない。ひとりよがりのオナニーみたいな行為だ。



実際に孤児院には、学校への進学の補助があり、ランドセルを買う金額がそこから出されていて、孤児の子供たちはそこから自分の好きなランドセルを買うことができる。タイガーマスクから送られたランドセルというのは、本当に、無駄なのだ。そして、そのタイガーマスクの行為というのは、孤児院の子供たちに対する、侮り、“こいつらは貧乏で、悲しい思いをいつもしているだろう、ランドセルを買う金もないだろうから、ランドセルを贈ってやれば喜ぶだろう”という一方的な決め付けがある。



例えば、ワタミの社長は、社員を低賃金で働かせて(お客様のありがとうが報酬なので、それ以外の賃金は必要ないらしい)すりつぶして、無理というのはうそつきの言葉だと言って実際に死んでしまうまで働かせた。そして、それを、正しいこと、だと思っている。実際に、彼女が死んだときに、「彼女の気持ちを受け継いで会社を大きくしていきます」というようなことを言っていた。そして、それを責める家族に「一億欲しいのか!」という言葉を吐いた。おそらく、このワタミの社長の言葉は、この人物の本心から出た言葉なのだと思う。彼の中の正義から出た言葉で、だから、自分の価値観で世界を図ったときに、その死んだ社員は、会社のことを思って死んだし、それを非難する家族は“悪”なのだろう。



タイガーマスクとランドセルの話は、そういう、“他人の善意の押しつけ”の一例だけれども、こういう出来事はほかにもある。相手の内面や、置かれている状態をろくに知りもしないで忖度して、自分の勝手な思い込みでアドバイスをしたり、可能性を狭めたり、選択肢をつぶしたり、行動を強制したり、ルールを押し付けたり、一方的な約束を決めたり、新しい全く役に立たない行動を行うように仕向けたり、人生がぎりぎりでほかの選択肢を取ることができず、苦肉の策で選んだ選択肢を“それはあり得ない選択肢だ”と言って、つぶしてきたりする。。それが断れない立場なので、押し付けられた方法をとるしかない。そして失敗しても彼らは決して責任をとらない。大体の場合、ちゃんとやらないからだ、頑張らなかったからだ、一生懸命やれば何とかなった。おれは何とかなったのに、何でお前はそれが出来ないんだ。そういう風にいう。



そして、もし、彼らのいうことを聞かなかったり、否定したりすれば「おれが善意でやったことを何でお前は否定するんだ」と言って、怒り出す。彼らは正しいことをしているつもりでも、実際は、自分が“正しいことをして力をふるうというオナニー”をしているだけなのだ。



タイガーマスクのような善意や正義の場合は、逃げることができるけれども、ワタミの社長のようなレベルの善意や正義は圧倒的な力の暴力で迫ってくるので、逃げることができない。ワタミの場合は一企業の正義と善意だから、まだ、会社を退職するなり不買運動をするなりで、対処はできるかもしれないけれども、たとえばこれが国家による正義の場合、海外に避難などのできない私たちはただただつぶされるだけだろう。たとえば、アメリカのトランプとか、日本の親子断絶防止法とか。これらも、善意と正義であるし、そして暴力だ。


正しいことをして力をふるうオナニー、というのは厄介で、それをふるっていることは自分では気がつかない。世の中でよく言われる“アドバイス罪”というのも、この一種だ。「誰か困ってる人に、アドバイスする、相手の役に立っている俺かっこいい、正しい。」そういう感覚というのは気持ちいい。相手に一ミリも役に立ってないどころか、相手のメンタルをクソリプでヤスリで削るみたいにすりつぶしているにも関わらず。大体のクソリプは、“相手のため”と本人は思って書いている。周りから見たら悪意に見えるような書き込みも、実は書き込んでいる本人とってはほとんどの場合、正義であり、思いやりなのだ。



これに関しては、書いている本人は気がつかない。どうしようもないし、人間の仕様上のセキュリティホールのようなものだ。そんなくそリプを送るのなら、何も言わずに相手に500円分のアマゾンポイントでも送るほうがよっぽど相手のためになる。そういう人間に限って、「魚を与えるのではなく魚の取り方を教えるべきだ」という。でも、世の中で生きているほとんどの人間は、実際、魚の取り方を知っているものだ。だって、その人は、いままでの人生を何とか生きてきたのだから。その人なりの魚の取り方、野草の探し方、獲物の殺し方、さばき方を知っていて、それでも、たまたま、獲物が取れないときがある。そういうときに必要なのは、“魚”なんだ。



その、苦しんでいる人をみて、“魚の取り方”を教える人というのは、“魚の取り方”しか知らない人で、だから、今までその人がその人の人生で、どのようにして、獲物をとって生活の糧を気づいてきたのかに思いが浮かばない。たとえそのやり方を聞いたとしても、魚の取り方しかその人は知らないし、野草の探し方を聞いたとしても野草を探すことはできないだろう。(同様にその苦しんでいる人も魚の取り方を聞いても容易に魚をとることはできないはずだ。)“アドバイス罪”の人は、自分の価値観で他人を断罪しているにすぎない。本人はその人のためにやっていると信じているのだろうけれども。



善意や正義を誰かにふるうときは気をつけないといけない。それは、本当に相手のためになっているのか。本当に相手のことをおもっているのか。自分が気持ちいいためにやっているのではないのか。もし、本当に相手のためを思ったり、しているのなら、まず、自分の持っている魚を相手に与えるべきだ。自分の財産や血肉を相手に与える覚悟があるものだけが、誰かに、“お前のことを思っているし、お前のためにやっている”と言えるのだと思う。



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