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マイルドヤンキーにさよならを

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ピンクでキッチンな人間には男女とも発言権のない社会

考えたこと
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イギリスで起きてる女性差別の問題

イギリスで起きてる女性差別の問題

今回の選挙では女性差別の問題が争点となると考えたイギリスの労働党は、ピンク色のバスを走らせた。しかし、ピンク色が既に女性のことを馬鹿にしているとして世間は反発した。労働党はステレオタイプで選んだ訳ではないとして、バスの色を「ピンク」という色以外で説明することに躍起になった。当然、うまく行かなかった。挽回を狙った労働党は「我々はキッチンでしっかりと話をしたいのだ。役員の会議室だけにこもった経済なんて、馬鹿げている。」というようなことを言った。当然、これも女性差別として恥の上塗りとなった。


ブクマとかみると、ここまでの問題ではなかったらしいのだけれども。


ただ、ちょっと考えさせられるところがあるのでちょっと語ってみる。
これと同じような出来事はあちこちで起こっているからだ。




この増田は
『女性を代弁するもののシンボルとして、ピンク色とキッチンを持ち出した。
そして、それに対して、「そういう女性ばかりではない!」と反論を受け、困ったことになった』
というエピソードだ。

しかし、実際のところ、そこで、「そういう女性ばかりでない」と言える女性は、政治に対して話が出来て、社会に参加出来ている人間で、この車が象徴したような“ピンク色でキッチン”な女性は、それに対して発言することも出来ず、議論には参加できないのだ。



キッチンでピンク色である限り、社会での権利が認められない

女性の自立が叫ばれて久しい。
そして、女性の強くなった、権利が大きくなった、と言われている。
しかし、ここで強くなった、というのはどういうことかというと、

  • 男の人のように外で働き
  • 男の人のようにお金を稼ぎ
  • 男の人のように消費をして
  • 男の人のように自分の欲望をかなえる

人間になった、ということで、そうでない、抑圧状態(そういう男性的な視点から見た場合)にある女性は相変わらず家庭のキッチンでおいていかれたままだ。
そのように男性的になって強くなった女性、僕は、それを女性が強くなったというのはなにか違和感がある。それは女性が女性として強くなったのではなく、男性になって、その男性になった女性が男性としての権利と力を行使するため、性別としての女性の権利が強くなったように見えるけれども、実際、“女性的てあるもの”のチカラというものは相変わらず弱いままだからだ。(むしろ男性化した女性から“目覚めていない、自覚がない”と言われて、更に弱く置かれているように感じる)





“キッチンでピンク色である”男女VS“黒くて固い”男女

ちょっと言葉としてややこしいので、ここから
“女性性的な方向性を指向するもの”を“ピンクでキッチン”
“男性性的な方向性を指向するもの”を“黒くて固い”
と表現する。



家庭に入る男性。
自分で主義主張することなく、家庭で掃除洗濯をイクメンのようにポジティブではなく、嫁の方が稼ぎがいいから、とか、うまく働けないから、という理由で家にこもっている人間がいる。自己決定権はない。そういう人間は、実際、社会からはかなりさげすまれている。
イクメンが尊敬を集めているのは“仕事もして家庭もちゃんとしている”という“なんでもこなす”という価値観、自己決定の末にすべてをこなせるという価値観を体現しているので尊敬されているのであって、自己決定権がなく“黒くて固い”価値観的な言い方をすると、奴隷のように暮らしている男性は侮蔑の対象である。


女性の活用、という言葉が叫ばれて久しい。
しかし、そこで想定されている女性は、自己決定権を持ち、自分で仕事も家庭も120%頑張れる人間を対象にしている。そしてそういう人間に120%頑張れるように環境を用意しますよ、そうでない人間を排除しますよ、というのが、今の女性の活用だ。扶養控除の「103万円の壁、130万円の壁」 は壊されようとしている。


今までだって、“ピンクでキッチン”の女性は、家庭で仕事をしてきていた。外で働く“黒くて固い”男性のサポートとして。そして、“ピンクでキッチン”の価値観の中には、所謂、内助の功と言われているような“黒くて固い”人間に同一化してそれを支えることに喜びを感じるような価値観だってあったはずなのだ。(こういうことをいうと“黒くて固い”価値観の人に、それは奴隷の喜びだと言われるだろうけれども。ワタミワタミ。)



目指すのは“ピンクでキッチン”のまま、社会の頭数としてかぞえられる社会

女性は“ピンクでキッチン”である限り発言権はない。“黒くて固く”ならないと社会で発言権がない。
男性も、“ピンクでキッチン”になってしまえば、発言権のある社会からはオミットされてしまう。



社会において、サポートする、内側を守る、陽にたいして陰、そういう社会の表を構成するのの裏の価値観があって、そこに属している人間がいる。
そして、そういう価値観でないと生きられない人間がいる。言葉、というものが“黒くて固い”側に属するものなので、どうしてもひどい言い方になるが、奴隷の首輪の方が安心する人間だっているのだ。
それは昔は忠心やら忠誠心、忠義と呼ばれて尊ばれた感情だ。今は馬鹿にされる文脈で使われることも多いけれども。



目指すべきは、全員が“黒くて固く”価値観の中で、それぞれが自律して行動して責任を持って生きるのではなく、そうでない人間も合わせて、社会が成り立つことだと思う。


“ピンクのキッチン”である限り、自己主張することは難しい。(自己主張しないということ自身がピンクのキッチンの価値観なのでパラドクスが生じるからだ)
ただ、それでも、そういう価値観を認めて、そしてそういう人間がいることを、常に意識して、それを含めて社会が成り立っているということを全員が意識する社会というものを目指すべきなんじゃないなあって思う。





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