マイルドヤンキーにさよならを

おすすめの漫画、アニメ、ブログ、AV機器を紹介していきます

テレビであんまり南スーダン(アレッポ)の虐殺のニュースを見ないわけ

tiwtterや、ネットのニュースでは、この話題がものすごくよく回ってくるのに、テレビではあまり報道していない気がする。今、テレビのニュースで流れている主な話題は、オスプレイの墜落と、プーチン大統領と安倍首相の会談の話ばかりだ。
日本の多くの人間がかかわる話題の話だから、そっちがメインになるのかもしれないけれども、ちょっと、この報道の少なさはおかしい、というかひどいな、って感じる。


テレビのニュースの場合、画像、動画がないとニュースになりにくいというのがある、また、現地で取材している人間がいないと報道が出来ないというのも。
今、アレッポの街は、これから、虐殺、が起こることがほぼ確定していて、だからジャーナリストがほとんど町から退去している状態になっているらしい。そういう理由によって、画像と現地の状態がわからないから、ニュースにならないのかもしれない。


あと、もうひとつ。今、南スーダンには、自衛隊員がPKOとして多数派遣されている。

 しかも反対に回りそうなのは中国やロシア、ベネズエラなど伝統的に反米の理事国だけではない。日本などアメリカに近い同盟国も反対を表明している。日本は南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に数百人を派遣しており、南スーダン政府の不興を買いたくないと考えている。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/post-6525.php

自衛隊が戦争状態の場所にいて、戦争しているということを、あまりニュースにしたくない、それにかかわるような話題をしたくない、という思惑もあるのかもしれない。自衛隊派遣に反対の立場からも賛成の立場からも、なんらかのクレームは来るだろうし、そういうデリケートな話題に。できるだけ触れたくないから必要最低限のニュースにしかしないのかもしれない。


代わりに、大多数の日本人が関係してくる、北方領土や、沖縄の基地の関係の話をしている。


でも、実際、南スーダンには、日本人が、自衛隊員として数百人いっているわけで、そういう人たちが日本のニュースで報道されない、いないことにされているというような感じがしてならない。


これから、同じように、日本人が海外で戦争にかかわったりしたときでも、同じようにたぶん報道されないんだろうなと思うと、マスコミって一体何なんだろうなって思う。


日本人だけの話ではなく、ほかの国の、生活している人の人権が脅かされているときに、そのことを問うことを、もっと、ちゃんとしたマスコミはするべきだし、マスコミは国に問いかけていくべきだと思う。それが権力としてのマスコミのするべきことだし、それが出来ないなら、報道機関を名乗る資格はないのではないかと思う。



血統書つきの動物が嫌い

なぜなら病気に弱いから。


血統書っていうものは、みんなご存じの通りその犬や猫が、どこどこの血筋を引いて、名前のある品種であるものを証明するものです。
こういう風にかくと、「身元と血筋がはっきりしているんだったら病気に強いんじゃないの?」って思う人が多いと思います。
しかし実際はその逆で、とても体が弱い、遺伝病を持っていることが多いんです。


なぜかというと、血統書つきの犬猫というのは、その品種を維持するために、近親交配を続けることが多い。直接の近親交配でなくても、いとことか、またいとことか、そういう親戚レベルの血の近さで、交配を続けていきます。そうすると、どうしても遺伝病が発現するリスクが上がっていきます。片方の腎臓が動かなかったり、目が見えなかったり、生まれつきそういう障害を持った子供が生まれやすくなります。そういう障害をもっていても、外側からわからないあったり、発言するのが大きくなってからの病気の場合、普通にペットショップなどで販売されていきます。ブリーダーも、ひどいブリーダーはとりあえずはやってる種類の犬種、猫種を大量生産するために、狭い部屋で近親交配を繰り返して、遺伝的に弱い子供を大量生産して、それをペットショップに卸します。ペットショップで、血統書つきで売られてるペット、ちゃんとしたブリーダーで血族の近さに気をつけて育てられた犬猫を販売している良心的なペットショップもありますが、そういった、ひどい育て方と販売方法をするペットショップもあります。



猫種によってよくみられる遺伝病で有名なところではスコティッシュフォールドの遺伝性骨形成異常症、エキゾチックショートヘアの多発性のう胞腎、メインクーンの、拡大型心筋症と股関節形成不全などがあります。それ以外にも、遺伝によって引き起こされる病気は、近親交配の割合が高くなれば高くなるほど、発現率も高くなります。猫よりも、犬のほうが、遺伝病、その他の病気を発言しやすいのは、犬のほうが人間によって品種改良されてきた歴史が長いからで、その分、遺伝子の多様性が少ないからだと言われています。



http://www.pet-hospital.org/cat-006.html
ここのサイトに、血統書の猫に多発する病気が出てますけれども、もう、病気のデパートみたいになってます。(その中にあるジャパニーズボブテイルの健康さ?)




ですので、犬猫を飼う場合、ペットショップで買うのをやめてほしいのです。
ちょっと調べれば、犬猫の里親探しをしている団体や個人が見つかります。犬も、猫も雑種のほうが基本的に体は強いですし、そういう場所で、飼い猫、飼い犬を探すことによって、殺処分される予定の動物が助かります。



あと、猫を飼い始めた場合、1年くらいで性成熟しますので、必ず避妊をしてください。動物がかわいそうでしたくない、という人もいるんですけれども、実際、子供が生まれて、その子供をどうするのか、と考えてください。その子供たちも一緒に飼える余裕があるのかどうか考えてください。



とりあえずカルタゴと同じレベルでペットショップは滅ぶべきだと思ってるよ。





ねこきゅうマウスパッド 65068

ねこきゅうマウスパッド 65068

世の中に、暴力をふるうつもりで暴力をふるう人間はいない

生きてる上で、暴力にさらされることってよくある。
会社からだったり、社会からだったり、上司からだったり、配偶者からだったり、親からだったり、先生からだったり。
あ、この場合の暴力というのは、力づくの暴力ではなく、他人の存在を否定したり、生き方のルールを勝手に敷いたり、人の人生のほかの選択肢を力づくで踏みつぶしたり、その自分の人生を人質にして相手に言うことをきかせたり、そういうことです。



で、そういうことってよくあるんですけれども、そういう暴力を振りかざして、他人をつぶす人間って悪意でやっているのではない。むしろ善意で、正しいことをしていると思ってやっている。



タイガーマスクが孤児院にランドセルを贈るという事件がある。
これに対して、ほとんどの人は、“良いことだ”“心の温まる出来事だ”と思うだろうけれども、実際のところ、このランドセルを贈るということは、ジャマ、ゴミ、他人の迷惑になる行為でしかない。ひとりよがりのオナニーみたいな行為だ。



実際に孤児院には、学校への進学の補助があり、ランドセルを買う金額がそこから出されていて、孤児の子供たちはそこから自分の好きなランドセルを買うことができる。タイガーマスクから送られたランドセルというのは、本当に、無駄なのだ。そして、そのタイガーマスクの行為というのは、孤児院の子供たちに対する、侮り、“こいつらは貧乏で、悲しい思いをいつもしているだろう、ランドセルを買う金もないだろうから、ランドセルを贈ってやれば喜ぶだろう”という一方的な決め付けがある。



例えば、ワタミの社長は、社員を低賃金で働かせて(お客様のありがとうが報酬なので、それ以外の賃金は必要ないらしい)すりつぶして、無理というのはうそつきの言葉だと言って実際に死んでしまうまで働かせた。そして、それを、正しいこと、だと思っている。実際に、彼女が死んだときに、「彼女の気持ちを受け継いで会社を大きくしていきます」というようなことを言っていた。そして、それを責める家族に「一億欲しいのか!」という言葉を吐いた。おそらく、このワタミの社長の言葉は、この人物の本心から出た言葉なのだと思う。彼の中の正義から出た言葉で、だから、自分の価値観で世界を図ったときに、その死んだ社員は、会社のことを思って死んだし、それを非難する家族は“悪”なのだろう。



タイガーマスクとランドセルの話は、そういう、“他人の善意の押しつけ”の一例だけれども、こういう出来事はほかにもある。相手の内面や、置かれている状態をろくに知りもしないで忖度して、自分の勝手な思い込みでアドバイスをしたり、可能性を狭めたり、選択肢をつぶしたり、行動を強制したり、ルールを押し付けたり、一方的な約束を決めたり、新しい全く役に立たない行動を行うように仕向けたり、人生がぎりぎりでほかの選択肢を取ることができず、苦肉の策で選んだ選択肢を“それはあり得ない選択肢だ”と言って、つぶしてきたりする。。それが断れない立場なので、押し付けられた方法をとるしかない。そして失敗しても彼らは決して責任をとらない。大体の場合、ちゃんとやらないからだ、頑張らなかったからだ、一生懸命やれば何とかなった。おれは何とかなったのに、何でお前はそれが出来ないんだ。そういう風にいう。



そして、もし、彼らのいうことを聞かなかったり、否定したりすれば「おれが善意でやったことを何でお前は否定するんだ」と言って、怒り出す。彼らは正しいことをしているつもりでも、実際は、自分が“正しいことをして力をふるうというオナニー”をしているだけなのだ。



タイガーマスクのような善意や正義の場合は、逃げることができるけれども、ワタミの社長のようなレベルの善意や正義は圧倒的な力の暴力で迫ってくるので、逃げることができない。ワタミの場合は一企業の正義と善意だから、まだ、会社を退職するなり不買運動をするなりで、対処はできるかもしれないけれども、たとえばこれが国家による正義の場合、海外に避難などのできない私たちはただただつぶされるだけだろう。たとえば、アメリカのトランプとか、日本の親子断絶防止法とか。これらも、善意と正義であるし、そして暴力だ。


正しいことをして力をふるうオナニー、というのは厄介で、それをふるっていることは自分では気がつかない。世の中でよく言われる“アドバイス罪”というのも、この一種だ。「誰か困ってる人に、アドバイスする、相手の役に立っている俺かっこいい、正しい。」そういう感覚というのは気持ちいい。相手に一ミリも役に立ってないどころか、相手のメンタルをクソリプでヤスリで削るみたいにすりつぶしているにも関わらず。大体のクソリプは、“相手のため”と本人は思って書いている。周りから見たら悪意に見えるような書き込みも、実は書き込んでいる本人とってはほとんどの場合、正義であり、思いやりなのだ。



これに関しては、書いている本人は気がつかない。どうしようもないし、人間の仕様上のセキュリティホールのようなものだ。そんなくそリプを送るのなら、何も言わずに相手に500円分のアマゾンポイントでも送るほうがよっぽど相手のためになる。そういう人間に限って、「魚を与えるのではなく魚の取り方を教えるべきだ」という。でも、世の中で生きているほとんどの人間は、実際、魚の取り方を知っているものだ。だって、その人は、いままでの人生を何とか生きてきたのだから。その人なりの魚の取り方、野草の探し方、獲物の殺し方、さばき方を知っていて、それでも、たまたま、獲物が取れないときがある。そういうときに必要なのは、“魚”なんだ。



その、苦しんでいる人をみて、“魚の取り方”を教える人というのは、“魚の取り方”しか知らない人で、だから、今までその人がその人の人生で、どのようにして、獲物をとって生活の糧を気づいてきたのかに思いが浮かばない。たとえそのやり方を聞いたとしても、魚の取り方しかその人は知らないし、野草の探し方を聞いたとしても野草を探すことはできないだろう。(同様にその苦しんでいる人も魚の取り方を聞いても容易に魚をとることはできないはずだ。)“アドバイス罪”の人は、自分の価値観で他人を断罪しているにすぎない。本人はその人のためにやっていると信じているのだろうけれども。



善意や正義を誰かにふるうときは気をつけないといけない。それは、本当に相手のためになっているのか。本当に相手のことをおもっているのか。自分が気持ちいいためにやっているのではないのか。もし、本当に相手のためを思ったり、しているのなら、まず、自分の持っている魚を相手に与えるべきだ。自分の財産や血肉を相手に与える覚悟があるものだけが、誰かに、“お前のことを思っているし、お前のためにやっている”と言えるのだと思う。



ファンタジー/天使と悪魔(紙ジャケット仕様)(初回盤)

ファンタジー/天使と悪魔(紙ジャケット仕様)(初回盤)




スポンサードリンク


スポンサードリンク