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マイルドヤンキーにさよならを

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「苦痛から逃げることを許さない」「他人との関係性以外の自分を定義する方法がない」

考えたこと
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「苦痛から逃げることを許さない」

大麻のない社会と大麻のある社会

苦痛を消すことをよしとする社会と、苦痛を消すことを良しとしない社会。
社会でうまく生きていけない人間が、そこから逃げ出すことを良しとしない社会。人を押しつぶす社会。
個人的には、大麻は反対だけれども、それと似たような効果を持つもの、例えばアルコールとか、たばことか、そういうものも、社会的に、“良くないんの”として扱われている。
でも、社会でうまくやれない人間、地べたをなめる人間っていうのは一定するいる人間わけで、そういう人に慰めを提供しない、ただ、辛酸をなめて上だけ眺めて生きてろっていうのは、あまりにも優しくないと、そう思う。
シンナー遊びっていうのがかつてあって、(今もあるのかもしれないけれども)シンナーとかの有機溶剤をすって、それで幻覚とかを見るので、それでトリップするというもの。
でも、シンナーでみる幻覚というものは、薬物の関係上、不安であったり恐ろしいものであったり、なにか殺されるような存在や恐ろしい物をみるらしい。それでも、シンナーを吸うっていうのは、たぶん、現実が、その“漠然として恐ろしいもの”よりもはるかに恐ろしいものなのだろうなと思う。


逃げる先はあるけれども、そこにも社会がある

現実は、現実で成功していたり、まあ、世間で幸福と言われている人間や、脳みそが壊れて、幸せホルモンがドバドバでている人間以外には、ちょっときついもので、そこから逃れる手段っていうのが、たぶん、人間社会には必要なのだと思う。
メンタルを病んで、メンタルクリニックで投薬というのは、踏みつぶしてくる現実に対して、その踏みつぶされる痛みをちょっとだけましにするようなもので、その現実の足の下から逃げ出させてもらえるものではない。
大麻とか、そういう薬物でなくても、アニメとか、スポーツとか、インターネットとか、そういう、それ以外の、既存の価値観から逃げられるもの。そういうものは、全部、同じように尊いし必要だと思うのだけれども、現実はそうでもなくて、現実の力関係に強くリンクしている趣味、スポーツとか、そういうものが尊ばれるし価値があるものとして扱われている。なんだかなあ。




「他人との関係性以外の自分を定義する方法がない」

ひつようなのは、現実ともう一つの世界

価値観が別の、その世界で、自分が成功できる、自分の価値観が既存されない何か。
ある程度、別の世界がたくさんあれば、そして、その世界が小さければ、その小さな世界で、王様にも成功者にもなれると思うけれども、インターネットとか、情報化で、細かいたくさんの世界がつながってしまうようになったら、その小さな世界でもなかなか王様になれないよなあ、とおもう。
インターネットでブログを作って、PV月1万いった!って喜んでいても、それより上にいる人間はごろごろいるわけだし可視化されるようになってしまった。
自分だけの小さな世界に閉じこもって、そこで盆栽を育てるようなことができればいいんだけれども、今の世の中は誰かとつながっていることが当然になってしまって、回線を切ってひきこもる、ということが(例えば電車の中でも必ず誰かに(ゲームなどでも)つながっている)難しくなってるよなあ、って思う。


車はなんで売れなくなったか

車が若い人が買わなくなった、っていうのも、若い人はお金を持ってないというのの他に、車という趣味が盆栽的な、“自分一人の世界で車と対話する”タイプの趣味だからだと思う。車に乗ってる間は、自分一人だし、誰かとつながってない。車と自分との対話。世界と車を通じて対話するタイプの趣味で、そこには、他人とのつながりというものがない。
最近は、そういう、自分自身を見つける、自分自信と対話する、自分が何者か知る、というタイプの行動自身が顧みられなくなっていると思う。誰かとの関係性の中でしか自分を定義できない人間が増えている気がする。


今、社会を覆う2つの問題「苦痛から逃げることを許さない」「他人との関係性以外の自分を定義する方法がない」

息苦しい理由って、結構これが大きいと思う。
自分の世界で盆栽を育てるみたいに、何かを行うという趣味が、あんまりない。そして、現代、そういう趣味ってネクラ系ということで、ちょっと白い目で見られることが多い。
盆栽系のゲームもあるけれども、ちょっとググってみたら、結局ほかの人の攻略法とか、短期で結果を出す方法とかが目についてしまって、目についてしまったら、もう、その比較や、裏技、チート技に引っ張られてしまう。自分は使わない!と強い意志を持っていても、“あえて使わない”という感じで、それに引っ張られていることになるし、そもそも“ググらない”ということでさえ、強い意志がいる。自分の気にしていることや興味を持っていることを、インターネットでググらない、ということさえ、今の、回線でみんながつながっている世界では、かなり強い意志がいる。




ひきこもることが許されない、ひきこもったとたん、世界のすべてから隔絶される世界に、今、私たちは生きている。


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