最近気になるブログ
炎上とあおり系の文章の問題について
ちょうど一年~二年くらい前の、炎上でアクセスを稼いでいたブログや、一気に話題になって、浮足立ってしまってそれから失速して消えて行ったブログに似ているので、来年、再来年どうなっているのか注視。
ここらへんなど。
他にも、色々あったはずなのだけれども、存在自信を忘れてしまって思い出せない。もしかしたらもうサイトごと消えているのかも。
まだ、それぞれのサイトでそれなりにアクセスはあるのだけろうけれども(当時獲得したファンや、サイト自身の検索順位の関係で、googleからのけんさくで流入したりとか)はてブや、その他で話題になることはなくなってしまった。
人類応援~さんのところはいまだにちゃんとしたエントリを上げているけれども、もう、活動の拠点はインターネットではなくなってしまったような感じがする。
クソログに関しては、相変わらずどこに向けているのかわからないようなヘイトをまき散らかしている。
1,2年前も、クソログみたいな、よくわからないヘイトとか、「俺はみんなが知ってて知らないふりをしている事実を臆面もなく言ってやるぜ!」系のブログが、ブログ炎上を繰り返しながら、瞬間的なアクセスを集め続ける、という状態があった。今と同じように。(というか、ずっとそういう状態は続き続けている)
ただ、そのようにして、話題になったブログというものは、継続的に、延焼を続けないとブログのアクセスを維持できない、しかも、みんなそのサイトを“そういうサイトなので相手にするだけ無駄”と思うようになって、ブクマとかしなくなる。かつて、ちきりんさんとかハックルベリーはそれでうまくやっていたけれども、もう、そういう手法が一般化してしまって、みんな無視するようになってしまった。
アニイズムや、めぐりめぐる、をみていると、1,2、年前から、一瞬沸騰して、それ以降みなくなるサイト群を思い出す。
京大卒の専業主婦の人のブログが消えてしまった
京大卒で、専業主婦をしているのがもったいないといわれる、ということについて書いたブログ。あちこちで話題になって、ブクマだけでなく、いろんな他のブログで言及、分析、誹謗中傷、などが行われた。
そして、その次のエントリで“釣りでした”発言。これがまた燃えた。『はてなブクマで、炎上しそうな話題で炎上しそうな文体で書いたらどうなるかって思ったらものすごい燃えた燃えた!』って書いてた。確か。で、これがまた燃えて叩かれた。
ただ、これ、多分、このブログ主の望んだことではないし、本心ではない気がする。
今はみて確認することはできないけれども、この人のブログ、4年くらい前から書いていて、着物のことだったり、食べた物のことだったり、そういうのを誰かに紹介するでもなく、日記のように、自分の思ったことを自分の為の備忘録として描いているブログだった。端的に言って、本当にいいブログだったし、とても素敵なブログだったよ。
それが、今回、ちょっと、腹にたまってたことをはきだしたら、それが炎上して。
今まで、そういう炎上とか、誰かから言及されるようなブログでもなかったし、多分、今回の、京大卒~~というエントリだって、誰かに充てたというものではなく、独り言のようなエントリだったのだと思う。ただ、それが、今のインターネットでは、拡散されてしまうということ。
結果、炎上して、うろたえて。
自分の本心の敏感な部分を記したところだったので、それをいろんな人に手あかまみれで障られることに耐えられなくて。
「釣りでした」
発言なのだと思う。
まあ、ここら辺は完全に内面の忖度だけれども。
えぐいやり方でアクセスを稼ごうと思えば、いくらでもできる今のインターネットだけど、丁寧に、自分と向き合うブログを、自分自身のことを語るブログを書こうとすると、むちゃくちゃ難易度が高くなる。
はてな村の一地方で
- 「面白さに頼らない」ブログ運営の技術、侮りがたし - シロクマの屑籠
- 「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城
- 最近ブログが楽しくなくなってきた(増田
- ブロガーの面白さというもの - novtanの日常
- ブログの「面白さ」って、何なのだろう? - いつか電池がきれるまで
という感じで、面白いブログとは何か、それはその人自身しかかけないその人自身の物語だ(意訳)というような議論があった。
だけれども、自分自身の、繊細で、敏感な部分(そしてそれは誰のお話でも面白い、そこにはその人の人生のすべてがあるからだ)を公開するということには、ものすごい覚悟がいる時代になってしまった。人生の、綺麗な思い出として残っている海水浴場の話や、雪の中で、迷子になった話、祖父が死んだ話。死んだ友人との最後の会話。そのような、その人の人生にとってのくさびになるような出来事。それはその人しかかけない、その人だけの、とても面白い価値のある話なのだけれども、インターネットのブログで更新した途端、みんなからよってたかって言及され、間違いを正され、非難され、ありふれた物語に落としこまれ、すりつぶされる。
そして、そんなリスクや苦痛を、ブログ更新者に求めるのは(求めざるを得ないのだけれども)あまりにも、不公平だと思うのだ。それを書く人のコストが大きすぎる。
結局、面白いブログは書かれず、量産型の、~~だと思いました!~~は楽しいです!というブログばかりになる。
どうしたらいいんだろうなあ。