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マイルドヤンキーにさよならを

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相棒13-10、お正月スペシャルの出来が酷かった。本当に酷かった。

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相棒は好きで、昼の再放送を録画して毎回見てるんですが、今の成宮君のシリーズになってから、なんだかちょっと面白くなくなってきたなあ、と思ってたんです。
でも、新しい方向性を模索してるのだろうし、まだ相棒になったばかりなので、これから面白くなっていくんだろうと、ずっと心のどこかで期待していて。
でも気づいたら相棒11,12,13とすでに3シーズンが経過して、神戸君が相棒をしていた期間と、もう同じ期間相棒をしているのにまだ全然しっくりしてこない。
亀山くんのように、右京さんの忠実な犬として活躍するでもなく、神戸君のように対立するでもなく。甲斐くんの立ち位置がずっと、地に足のついていないまんま。甲斐くんが自分の父親との確執と言えないレベルのモラトリアム状態でふらふらしているのを表しているのだと、好意的に解釈しても、でもそれで物語が動かなさ過ぎる。甲斐くんが相棒として存在している意味がない。殆ど右京さん一人だけで話が出来てしまう状態が続いていて。そして肝心の各話のストーリーも、どうにも精彩を欠くものばかり。どうしてこんな…でもいつか面白くなるはず…。と思いながらずっと見ていたんですが。
今回のお正月スペシャルで、もう、何か本当に、「ああ、もう相棒は駄目になってしまったんだなあ」と思った。
全体的な作りが雑、雑としか言いようのないディティールの煮詰め方だし、右京さんや登場人物のせりふが安い。陳腐な二次創作みたい。キャラクターが、物語をすすめる為に無理に言わせたセリフを言わされるせいで、「飛影はこんなこといわない」状態になっている。その肝心のストーリーも、「どや、これおもろいやろ、工夫きいとるやろ」みたいな感じで、ちっとも面白くない。どうにもひどい。どこがどうとか言えないくらいひどい。いいところを探すのも難しい。ポリアンナが全裸で土下座するレベル。なんでこんなことになってしまったのか。まるで、踊る大捜査線の劇場版2以降のようだ。

相棒は踊る大捜査線のようになってしまうのかもしれない。

躍る大捜査線も、テレビドラマでやっている時はとても面白いドラマだった。テーマがあった。今までの刑事ドラマのような、“派手な事件があり”“それをまるで昭和呪部ナイルの探偵のように”“切れ者、または暴れん坊のはみ出し刑事が”“大暴れしながら解決していく”というような、時代劇のようなフィクションのテンプレートを使用せず、サラリーマンとしての刑事、警察組織を描いたというそれまでにない画期的なドラマだった。その土台がしっかりしていたからこそ、トレンディドラマのようなキャラクターがその舞台上で暴れまわっても、世界観が崩れず物語として成立していた。のだが。
劇場版2以降、本当に駄目になる。劇場版1のころからその萌芽はあったのだが。
物語の、サラリーマンとして、熱血とか熱意とかそういうの以前に職業人ですよ、ワークなのでノウハウもあるし、コツコツとしてくのが仕事ですよ、領収書とかどうでもいい書類仕事もありますよ、みたいな世界観が完全に姿を消す。そうなると、もともと、デフォルトの刑事ドラマのテンプレからも外れている踊る大捜査線は、“ふわふわとした世界観の上で”“ふわふわとした人間関係で繋がってる登場人物が”“とりあえずインパクト重視の出オチ犯罪者に”“ふわふわとした捜査をしながら”“とりあえず言葉だけはカッコいい決め台詞をいう”という、まるでカマボコしか入っていない湯豆腐のような地獄状態になる。どうしてこうなった。
恐らく、テレビ版、そして映画第1作がヒットしたせいで、社運とかお金とか、色々かかってしまって、上から口を出す人が増えてしまったとか、横やりがたくさん入るようになってしまった結果、まともな制作環境が用意できなくなってしまったんだと思う。物語とか、世界観の面白さよりも、キャラクターを立てていけ、というような感じで。
テレビ的にキャラクターを立てる、というのは、とりあえず画面にたくさん露出して、わかりやすく、カッコいいセリフ(印象に残るセリフ)をいう、ということになるんだろう。たとえば東京エレキテル連合の「だめよだめだめ」みたいに。でも、それは相棒の面白さとは全くそぐわない。

相棒の面白さはテンプレのない面白さ。

相棒、神戸君までの相棒というのは、キャラクターの関係性とキャラクターの個性を犯さなければ、どんな物語を書いてもOKみたいな感じがあるところだった。逆に、キャラクターの深層や、内面を忖度するエピソードというのは、とても少ない。右京さんは犯人の人格や感情に一切同情を挟まないし、それをフォローする亀山君、というキャラクターの行動としては常にテンプレ化していた。一方物語の作り方にはかなり自由度があって、面白相棒、社会派相棒、ミステリ相棒、と大別できるような、色々な話が展開されていた。相棒の中で特に好きなエピソードで、右京さんが中学生の時にかいた小説の設定がもとになって、亀山君がサトエリに監禁されて足をハンマーで思いっきり殴られるエピソードがあって、もう、無茶苦茶なんですけれども、それでもそれは、相棒なんですよ。相棒としての根っこが失われてないから。
今の相棒は、そこら辺のところがどうにも曖昧、というかふわふわになってしまっていて、「でもこのひとこんなこといわないし」「このひととこんなからみかたしないよね」というのがとても多い。
他の人気ゆえにぐだぐたになってしまったテレビ番組みたいにぐだぐだになって消えてしまうんだろうか。それはあまりにも悲しすぎる。再放送の亀山君と神戸君の相棒をみつづけて、水戸黄門の再放送みたいに、“やっぱりこのころの相棒が一番おもしろいねえ”って言いながら、お茶を飲んで過去を懐かしむことになるのだろうか。辛い。



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