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マイルドヤンキーにさよならを

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テレビで露出する右側が極まった女子に美人が多い

テレビのやっているニュースで、アメーバニュースかもしれないけどそこで教育勅語を大絶賛する若いメンタルが極まった右翼の女の子が出ていて、その子が広瀬アリスみたいな感じの可愛い子だったのでどういう理由で彼女がそういう極まった右側のマインドになったのか気になった。



名前とかも忘れてしまったので、ブログとかTwitterを探して本人の経歴を見ることもちょっとできないので、そしてそれ以外にもそういったものすごい右側向いている美少女とか結構いるので、なんかそーゆー風になるような何かの傾向があるんだろうと思う。



逆に左側の方の女の子は全体的にサブカル風味というかいいようによってはかわいいと言うようなタイプの女子が多い感じがする。まあなんとなくこれわかる。




ネットとかのこれこれこーゆー人間が右翼ですよーネトウヨですよー、て言うのは結構偏見に溢れていて、貧困層であるとか低学歴であるとか頭が悪いとかDQNだとかそのように思われているけれども実際はそんなことなくて、自分の周りのリアルで知り合いでいる(という自分の友達周りの人間の中でものすごい右ている人間)極まった右側の人とかは大抵、結構いい会社に勤めていたり、家がある程度のお金持ちだったり、育ってきた学校や社会がアッパーソサイティ、貧困層との交わりがあんまりない人たちだったりする。



右利きになる人の性質、なるように必要な性質と言うのは傲慢さなのではないだろうか。弱い人間、負けた人間、うまくいかない人間、能力低い人間、顔も良くなかったり劣等感を持っている人間、そういう人と付き合わないし、自分自身もそーゆー状態にならない、なったとしても簡単にリカバリが効いて自分自身の力(実際のところは自分自身+自分の生まれ育ったきた環境による力)で何とかできるので弱い人間というものはただただ努力が足りなかったりやる気がなかったり怠けてするように見えるのだと思う。




そう思うと、右翼というか愛国心の強い人たちは福祉に対しても、とても冷たい。生活保護を受けている人間やシングルマザーなどに対して自己責任と言う発言をよくしている。



自分たちが恵まれていることに無自覚であり、そうでない人間は不真面目でそのせいでそのような状態になっていると思っており、彼らが自分たちが頑張っている足を引っ張る、そーゆー存在だと、意識の表面に登らないところで思っているんじゃないだろうかと思う。




この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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教育勅語の核の部分はやはり「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ 」ではない

世の中の出来事 考えたこと

www3.nhk.or.jp
はてなブックマーク - 稲田防衛相「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」 | NHKニュース


戦前の日本を取り戻したい、日本会議周辺。
この説明、一見すると、国民を騙すために、心の中では思っていないことを言っているように見える。
心の中では、教育勅語の本当の目的である「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ 」という部分を隠して、耳障りの言い、みんな仲良くしましょう、親孝行しましょう、という部分を推し進めて、最終的に戦前のこの思想を押し付けよう、と、そうこころの中で考えているように、見える。



でも、たぶん、この日本会議周辺の人たちの本心って、本当に、親孝行しましょうとか、兄弟仲良くしましょう、とか、みんなと仲良くして友達を大事にしましょう、という部分が教育勅語の核の部分で、そしてそれを推し進めようとしているんだと思う。



自民党憲法改正案。そこに書かれている思想を考えると、そう思える。
憲法というのは、そもそも、国家(役人、行政など)が暴走しないように、好き勝手しないように、国家の権限を制御するものである。政治家や役人の義務、責任、そういうものを規定するものであり、また、国民の権利を定義するものである。
それが、あ自民党憲法草案では、国民の権利を国家の勝手によって制限したり規制できることを宣言して、また、国民に義務を課すものになっている。家族の規定を取り入れて、福祉を最低限にして、個々人の不具合やそういうことのあと始末、面倒、介護を、その家族の責任にしょわせようというような、そういう思想が見える。


また、自民党は、実際、天皇陛下のことはどうでもよく、ただ、自分たちの便利に使える道具として認識している。国民には、天皇に奉公せよ、と言いながら、自分たちは全く敬意を表していない。戦争およびその他について、平和憲法を愛する、誇りに思うと宣言している天皇陛下の意志を全く無視して、積極的平和外交をしたり、そのような憲法草案を作ったりするのが、いい証拠だ。
天皇陛下~ということはどうでもよく、国家のために人民がある、そのような国家主義全体主義の国家を作りたい、という思想。それが、今の自民党国民会議の中にはある。


教育勅語というのは、それを、教える、教育するのに、とても良い教材だ。


教育勅語は以下になる

12の徳目

父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%8B%85%E8%AA%9E


道徳とか道義で国民の思想を縛って、国家に従う従順で素晴らしい人民を作りたい。そのための教育勅語の核の部分は、
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ 」
ではなく、それ以外の部分、国家が国民、人民に負うべき責任を放棄して、自己責任で、お前たちはやれ、国は責任を持たない。だが義務は果たせ。


それが、自民党が今、目指している国の形である。

僕のこと、僕の住んでいた町のこと

とりあえず文章を書こう、なんでもいいから、文章を書こう。そう考えたとき、ブログという選択肢は本当にいい。自分の正体を明かさないまま書くことができる。それについて何も責任を取らないで書くことができる。



リアル、普通の日常で生活していると、考えないこと、考えてはいけないこと、考えると苦しいことが多くって、物事をどんどん思考しなくなっていく。だんだんといろんなものに無関心、無気力になっていって、透明になっていく感じがする。いろいろなことを忘れていくし、いろいろなことを考えなくなっていく。



最近久しぶりに大量に文章を書いて、それはもう、脳から思うまま、脳直の状態で文章を書いていて、それが少しましになった気がする。テーマとかを決めずに、頭に思いつくまま、思いついた順番にだらだらと出力する。出力しているといろんな雑念が浮かぶ、どうでもいいこと。小学校の時の廊下、掃除当番、掃除当番でもめたこと、自分はクラスの中のポジションが弱かったので、いつも雑巾がけだったこと、箒が握りたかった。みんなトイレ掃除は適当にしていて、でも、水を撒くのだけは楽しくて、だから、水を撒くときだけはテンションが上がって、廊下の外まで水浸しにしていたこととか。そういう、どうでもいいことが頭をかすめていく。普段は忘れているし、思い出しもしない、小さいこと、どうでもいいこと、そういうことが、思考をオフにして、ただ文章を書くことだけに、自動書記のように勝手に手を動かしていると、あふれてくる…というほどあふれてはこないけれども、思い出されてくるのだ。自分の住んでいた学校は郊外にあった。郊外といっても、それぞれの地方で郊外の形は変わってくる。大坂を中心とした関西の郊外、神奈川の郊外、金沢など地方都市の郊外。関西や神奈川の郊外は、もともとその近くに栄えた町があり、その栄えた町の合間にある原野や森、山を切り開いて作られる郊外で、新しいものと古いもの、いろんな文化がまじりあった郊外を形成する。一方、僕が育った郊外は、北関東の郊外だった。北関東の郊外は、もともとの町も何もないところに突然現れる。国道沿いではなく、電車の路線が、何もない畑や原野にひかれて、そしてその周辺に出来上がる。これは、ほかの地方の郊外が、自動車での通勤というものを前提としているのに対して、東京圏の通勤というものは、電車に頼らなければならない、という条件にも起因している。ともかく、北関東の郊外というものは突然、何もないところにあらわれる。既存にある大きな町、昔の宿場町をその路線は通っていはするけれども、それとは少し離れていて、(何せ、とにかく巨大な土地を確保できるので)いきなり巨大な面積の住宅団地が現れ、そこを、ほぼ同じ面積に区画した、ほぼ同じ大きさの家が同じように立ち並ぶ。家の価格も大体同じくらいなので、同じくらいの年収の家庭が住み、同じくらいの子どもたちがいる。なにもなかった、広大な土地に、ほんの数年で、ほぼ同質な人間で占められた、巨大な空間が出来上がる。
そういう、北関東の郊外が、僕の生まれ育った町だった。



いまは、その町は、老いを迎えている。僕と同じようにその町で育った人間が、その町を出て行って、帰ってこない。再生産を最初から考えていない町は、僕の両親の年代の人間だけで構成されていて、小学校に通う子供たちの数も少なくなった。スズメバチの古くなった巣のように、この町は捨てられた街なのだろうか、と思う。



ふと、広告をみると、かつて、自分の両親や、両親と同じような社会背景を持つ人たちがかった住宅とその住宅団地と同じように、巨大なタワーマンションや、新しい住宅地の物件が売り出されている。それらの物件も、再開発された巨大な更地の上に作られていたり、新しく伸びた電車の路線の先に作られたニュータウンに作られていたりする。4000万円の物件の35年ローン。子供が大きくなってさらにその先、それが35年後だ。



いつか、その、建物や町も、僕が昔住んでいた町のように、抜け殻になっていくのだろうか。


グラスホッパー (角川文庫)

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融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

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